2013年07月23日

幕末という時代に


大河ドラマ『八重の桜』も、ついに会津戦争へと突入する。綾野剛が演じる松平容保公の苦渋の表情には毎回のごとく涙を禁じえぬ。幕末という時代に、時の権力者によって翻弄され、利用され、徳川の楯にされる容保公。何故、それほどの重荷を背負わねばならぬのであろうotter case。理由は即ち、この一文に尽きると思う。

大君の義
一心大切可存忠勤、 不可以列国之例自処。焉若懐二心則非我子孫、面々決而不可従。

会津藩祖である保科正之が後世に残した家訓である、保科正之とは二代将軍秀忠の隠し子である。公にされることなく保科家に養子に出されるが、腹違いの兄、三大将軍家光の厚意で会津二十万石が与えられ、子孫には松平姓が与えられた。正之はその御恩に感謝し、末代に至るまで徳川に忠節を尽くすことを誓い、この家訓を記した。ところが、皮肉にも幕末の会津は、この家訓によって、その運命が決定づけられてしまった。京都守護職という汚れ役を押し付けられ、それまで何ら関わりもなかった長州、そして薩摩からも恨みを買い、泥沼の戦いを余儀なくされるのであるから、容保公の表情が終始穏やかならざるも無理はない。断りきれぬ立場を承知でfr4 pcb、無理難題を会津一藩に押し付ける徳川も徳川である。

1868年(慶応4年)3月14日のことである。新政府軍による江戸城総攻撃を目前にしたこの日、江戸高輪にある薩摩藩の屋敷で、勝海舟と西郷吉之助による会談が行われ、江戸城総攻撃は中止された。所謂「江戸城無血開城」である。「無血開城!」 この一言だけを聞くと、いかにも平和的に解決がなされたように思われる。しかし、会津にとっては、実にとんでもない大事件である。これによって、賊軍となった徳川への矛先が、会津に向けられることが決定的となった。気の毒なのは会津である。江戸総攻撃用に準備された武器弾薬が、すべて会津に向けられるのであるから堪ったものではない。

言わずもがな、以上の話は145年前の話である。ところが歴史は繰り返される。21世紀の今日、これと同じことが繰り返されていることに多くの者が気付いていない。現在の首都東京の平和は、福島県民の犠牲のうえに成り立っている。放射能漏れを起こした福島第一原子力発電所は、福島県民の為のものではない。東京電力が東京に必要な発電所を、わざわざ東京とは無縁の福島に敢えて作ったものである。そのことに気づかぬまま東京都民は平々凡々と暮らしているlabel sticker。無血開城の影で徳川の犠牲になる会津藩同様、東京電力の犠牲になった福島県民の艱難辛苦はまだまだ続いているのである。
 
『八重の桜』の会津の苦悩は、とりもなおさず福島県民の苦悩と重ってくる。
posted by dodo at 12:16| Comment(0) | life | 更新情報をチェックする

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